慰霊の日に思うこと
今日6月23日は沖縄県の「慰霊の日」。
「沖縄戦で司令官を含む司令部が自決して集団的戦闘が終了した日」です。
しかし、当時兵士らに軍から撤退や降伏の命令が出たわけではなく、「行動は各自で判断」という指示であったため、兵士は統制を失い、捕まれば拷問や虐殺、女性はレイプされると信じられていた時世、実際はその後も各地で戦闘は続けられ、23日以前よりも、むしろ23日以降の方が犠牲者の増加率が高かったという証言もあります。
沖縄の日常で
沖縄に移住してからまず感じたのは、毎日のテレビやラジオのニュースや番組で、「沖縄戦」や「米軍基地」という言葉を聞かない日は殆どありません。
正直、これだけ毎日のように報道していると、沖縄県民には日常通り過ぎる風景のようになってしまって、かえって本質的なことは届かないのではと思うほどです。
私たち内地の人が、沖縄戦について表層しか知らないように、沖縄県民も先の大戦=沖縄戦に留まって、戦争全体や、空襲や原爆被害など県外のことの認識は希薄になってしまっている気すらします。
住民を巻き込んだ地上戦、集団自決、日本兵による住民殺害など、沖縄だけに起こったことを来沖の観光客や修学旅行生だけでなく、日本や世界に広く伝えること、同時に沖縄県民が県外で起きた戦争体験を知ることは、「教科書に載せる載せない」ということよりも、非常に大事なことだと思います。
誰かを責めるためではなく、平和学習として、戦争とは兵士が戦って死ぬだけでなく、人が殺し合う、人が人間らしさを失い、道理の無いまさに地獄絵図であるという現実に向き合うということは、大いに意義があると思います。
一枚の写真と一枚の絵
私の両親は小中学生で戦争体験をしていて、多くは語らないまでもそれなりに聞いてはきましが、沖縄に観光で通っているあるときに、地元の友人に連れらて訪れた先で見たもので、私の中の戦争観が大きく変わりました。
後にも先にも、「戦争」の記録を見て、人目をはばからず涙が溢れ出たことも、嗚咽のような声が込み上げたことも、それが初めてです。
一つは一枚の写真、もう一つは一枚の絵です。
写真の方は、糸満の平和祈念館内の展示で、数ある戦争記録写真の中で一枚だけ、女性のお年寄り、沖縄でいうおばぁが、両手とも足の方へ垂らした状態で頭から倒れ込んだように、顔を土にうずめて、道の真ん中でうつ伏せに倒れている姿でした。
逃げている時に艦砲射撃で吹き飛ばされたのでしょうか、なんという悲しい姿。
目の前で人が死ぬ瞬間を見たような気がして、今でも目に焼き付いて、思う出すたびに息が苦しくなります。
人が人を殺すのが戦争
絵画の方は、この前のNHKの「日曜美術館」で放送された、佐喜眞美術館に常設展示されている丸木位里、俊夫妻の「沖縄戦の図」連作の中の一枚です。
そこには米軍の兵器や砲撃、戦闘場面は殆ど描かれておらず、人が死ぬ姿で埋め尽くされていました。
死んでいる姿よりも、死ぬ時の姿が目に飛び込んできます。
集団自決で、互いに首を絞め合っている姿、泣きながら子供を殺している母親の姿、崖から飛び降りている大勢の人々。
スパイだと言われ、日本兵に竹やりで刺殺されている女性たち。
隠れている洞窟内で泣き止まない子供が日本兵に刺し殺されている姿。
全て生き残りの人たちによる証言から描かれた場面です。
戦争は人間が起こし、人間が始め、人間によって行われ、人間が死んでいく、無抵抗な者が殺されていくという現実を見せつけられているようでした。
「日曜美術館」でも美術館を訪れた司会の小野正嗣さんが、絵を目の前にして「今は何かを語る時ではない」と込み上げる涙と嗚咽を我慢しているように見えましたが、私も含め、多くの人たちがあの絵を目の前にして同じような気持ちになると思います。
描かれているものは、受け止めて消化できるようなものではありません。
目を逸らさず、向き合うだけで精一杯でした。
沖縄では今でも
沖縄では今でも、沖縄戦当時の不発弾が毎年見つかっています。昨年か一昨年に国際通り脇からも見つかりましたね。
沖縄では今でも、平和記念公園の戦没者慰霊碑「平和の礎(いしじ)」に毎年、新たに認定された方々の名前が刻まれています。今年は40名あまり。
沖縄では今でも、戦没者の遺骨が各地で見つかっています。住宅の庭、工事現場、建設用土砂の採掘場等々。見つかる遺骨の方が身元やDNA鑑定を上回って、保管場所に収まりきらないくらい。
沖縄では今でも、拡張した畑の一部だけ野菜がよく育ち、多くの実を付け、そこを深く掘ったら親子の白骨遺体が発見されたいう話も珍しくありません。まるで「私たちはここにいるよ」と教えているいるようだったと。
沖縄には今でも、沖縄戦中に避難場所として使われた洞窟(ガマ)が遺品も含め、遺族の意向でそのままの状態で残されているところが幾つもあります。集団自決の跡を残したまま。
答えは見つからずとも
戦争はしてはいけない、何も生まない、勝者はない、と多くの人が言いながら、どうすれば無くなるという一つの答えは見つかっていません。
いつの世の戦争でも、始めるのは指導者や権力者たち、死んでいくのは多くの若者や私たちです。
答えは一つではないかもしれませんが、私たちが過去と現在の事実から目を逸らさずに、向き合うことが何よりも、見えない答えに近づける方法だと思います。
毎年、慰霊の日に思うことです。
【追記】
東北出身で現在沖縄の地元テレビ局に勤めている若いアナウンサーがSNSに投稿していました。
「沖縄のラジオの道路交通情報で、『不発弾処理のため』という言葉を初めて聞いた時は鳥肌が立ったことを覚えています。
『戦い』の『あと』で『戦後』ですが、何をもって『戦後』というのか考えるようになりました」。
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